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中崎尾根から穂高岳(山岳部冬山合宿 1971年12月26日-1月3日)
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1971年
- 8月1日ー ? 山岳部の夏山合宿
扇沢から入山し、針の木雪渓を登って峠を越えて黒部湖へ下る。五色が原、一の越から剣沢へ進む。剣沢をベースに八峰を登る。
- 10月31日ー11月3日 冬山1回目の偵察
横尾から横尾尾根に取り付き、天狗のコル手前で設営、翌日南岳北側で稜線に出て槍ヶ岳へ向かう。その後槍沢を下って上高地から帰る。初日は雨。
- 11月21日ー23日 富士山雪上訓練
愛知県山岳連盟の冬季雪上訓練に参加、計4名
- 12月26日ー1月3日 山岳部の冬山合宿
新穂高から槍平を経て中崎尾根に登る、テントを2カ所設けて槍ヶ岳へ登る。初日は雨。
1972年
- 1月15日ー17日 甲斐駒ヶ岳
戸台から北沢峠に向かい、(現在の)長衛小屋の前に設営。2日目は雪の中を駒津峰まで登る。
- この日は、女性2人のパーティと男性の単独行、私たちの計3パーティだったようです。女性パーティは早々と退却し、単独行の人は遅れて実質私たちだけのラッセルで進んだようです。戸台がバスの終点で、河原を2時間歩いた昔の南アルプスは,やはり奥深かったと思います。
- 11月3日ー5日 剣岳
室堂から剣沢まで入り、剣沢から剣岳往復。剣沢にはほかに入山者がいなかったような。
- 11月19日ー20日 木曽駒ケ岳
敬神の滝から滑川を遡行、本谷出合で設営。翌日本谷の滝の高巻に失敗し、木曽駒ケ岳の夏道まで登る。
1973年
- 5月25日ー27日 毛勝三山 写真
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5月25日 バスで魚津駅から終点東蔵まで行き、一部トラックに乗せてもらって阿部木沢へ。雪渓を登り途中でテント泊
5月26日 毛勝谷の雪渓をつめて毛勝山頂へ。思ったより稜線の雪が少なく難儀しながら釜谷山、猫又山をへてブナクラ峠へ。そこからブナクラ谷を下る。馬場島の手前でテント泊
5月27日 馬場島から上市駅へ出る
- 11月3日ー4日 富士山
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11月3日 名古屋から車で富士山静岡側の新5合目へ。9時出発,17時山頂到着(4時間の見込みが8時間かかった)山頂でテント泊、ほかに7張りほど。高山病
11月4日 新5合目まで下りは2時間45分ほど
- 11月23日ー24日 鹿島槍ヶ岳
追記
- 上記の記録は当時山行を伴にして頂いたo氏のメモに拠ります。(私が同行したのは太字部分)
私達は二部(夜間)の大学でしたから、昼間はほとんどの人は仕事を持っていましたので、
活動は週末に限られていました。活動の中心は、鈴鹿の御在所でした。
週末の土曜日、学校の授業が終わり、名古屋から近鉄に乗車。
四日市で湯の山線に乗り換え、終点の湯の山駅で下車。
温泉街を抜け、暗い山道を山小屋まで歩いて、小屋から少し離れた場所にツェルトを張らせて頂きました。
(夜の大雨で山小屋に逃げ込んだことがあったような。)
翌日、藤内壁の前の前尾根で訓練していました。
岩登りの方は全く上達しませんでしたが、「体力が付く」という先輩方の甘言に乗せられて日参していた記憶があります。
当時のことは殆ど忘れてしまい、記憶というものは全くあてにならないものと痛感しています。
(几帳面なo氏の記録に感謝しています。)
山岳部資料
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